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台湾の歴史②(明国鄭氏政時代~清帝国時代)

2021.11.25

Photo by Wikipedia

①明国(鄭氏政)時代(1661年-1683年)

台湾がオランダに統治されていた1644年、中国大陸では明王朝の首都である北京が清に占領され、明王朝は終焉を迎えます。
明王朝の生き残った官僚の一部は、華南地域で明王の一族を新たに皇帝として掲げ、亡命政府を作って清に対する抵抗を続けました。日本人の母を持つ鄭成功は、清に対する抵抗勢力として大きな力を発揮し、「反清復明(清帝国を滅ぼし、明王朝を復興させる)」と誓いました。
 1661年、鄭成功は豊富な資源に恵まれ、中国大陸とも近い「台湾」を、明王朝を再興するための拠点として定め、約25,000人の軍隊を率いて澎湖から台湾に入国しました。
1662年2月、台湾のオランダ東インド会社政権に勝利し南台湾を制覇した鄭成功は、台湾史上初の漢民族政権を樹立することとなりました。


ようやくオランダ軍に勝利し、台湾を拠点にして「反清復明」を目指した鄭成功ですが、オランダに勝利した同年に病にかかり志半ばで亡くなってしまいます。

鄭成功は台湾からオランダを追い払った英雄として、今も台湾国民から「開山王」と呼ばれ愛されています。
鄭成功の死後はその子孫が三代に渡って台湾を統治していましたが、1683年に清軍によって澎湖諸島を占領され、台湾本島も同年の内に占領されてしまいました。 こうして、鄭氏政権は23年間という短い期間で滅びることとなりました。

②清国時代(1683年-1895年)

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鄭氏政権が滅びた後は、清国が台湾を統治します。

台湾統治初期の頃、清国はまだ「国防のために台湾を統治する」という消極的な姿勢で統治されていました。

行政コストや警備コストの節約、人口増加の抑制のため、駐屯地は3年交代の交替制を採用し、その家族は軍隊に同行して台湾に行くことはできなかったといいます。台湾への移民禁止政策も台湾社会に大きな影響を与え、その結果、台湾の男女の人口比率が不均衡になってしまいました。

清国から台湾に入植した漢民族は、埋め立てや水利工事に力を入れ、台湾経済が発展していくに伴い、港の開港や貿易が盛んになりました。
清国の台湾に対する否定的な態度は19世紀半ばまで変わりませんでしたが、 1875年、清国の大臣として台湾に戻った沈宝珍は漢民族が山に入って耕作することを奨励し、その結果、台湾東部が徐々に清国の領土に組み込まれていきました。
特に、虫よけで知られる樟脳(しょうのう)は清朝後期の台湾の特産品で、かつて台湾は世界で最も多くの樟脳を生産していました。
また、台湾では米も多く栽培され、中国にも供給されていました。
台湾は中国の重要な農地となったのです。

清仏戦争後の1885年、台湾の重要性を感じた清国政府は、台湾を200年近く所属していた福建省から独立させました。
ところが、日清戦争(1894-1895)に敗れた清国は日本と下関条約を結ぶことになり、212年という清国による長い統治時代を終えることとなります。

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