日本人スタッフBLOG台湾こばなし
台湾の歴史①(台湾島の発見~オランダ統治時代)
2021.11.25
近年、人気の海外旅行先として常に上位にランクインする台湾ですが、世界史に登場するその歴史はわずか400年ほどと短いことはご存じでしょうか?
かつて、台湾は先住民が静かに暮らす無名の島でした。
そんな無名の島が「台湾」と呼ばれ始め、今日のような発展を遂げるまでの道のりは平坦なものではなかったようです。
そこで今回は「台湾の歴史」シリーズ第1弾として、その始まりと激動の幕開けについてご紹介したいと思います。
①先住民時代
台湾が世界に認識されるようになったのは16世紀のことです。
それまでは先住民と中国大陸から渡ってきた一部の漢民族が静かに暮らす名もない島でした。
ちなみに、台湾の先住民は言語学、考古学、文化人類学の研究に基づくと、約8,000年間台湾で活動してきたと推測されています。
遺伝学と言語分類の観点から見ると、台湾の先住民はマレー・ポリネシア系に属し、フィリピン、マレーシア、インドネシア、マダガスカル、オセアニアなどのオーストロネシア語族と密接に関連しているそうです。
現在、台湾には16種の先住民族が存在しています。
そんな無名の島が脚光を浴びるきっかけになったのは1540年頃。
台湾付近を航海していたポルトガル船の船員がとある島(台湾島)を発見し、そのあまりの美しさから「Ilha Formosa!(イラフォルモサ!)」と思わず声を上げたそうです。
この「Ilha(イラ)」は島、「Formosa(フォルモサ)」は麗しいという意味で、台湾の別名「麗しの島(フォルモサ)」の語源といわれています。
②ホセ時代(オランダ統治1624-1662 /スペイン統治1626-1642)
台湾の正確な歴史は、1624年のオランダ東インド会社の統治から始まりました。 15世紀から16世紀にかけて、ヨーロッパ諸国は海外への力を拡大し、東アジアへの新しいルートを開拓していました。
そんな中、1624年にオランダが台湾に初上陸し、台湾の運命は大きく変わることとなりました。
オランダは台湾に上陸したのち、もともと暮らしていた先住民族や漢民族による抵抗や、イギリスやポルトガルなどの競合国からの攻撃に備えて台湾南部に城塞を築きました。
これは台南の最も古い城塞「安平古堡」と「赤崁楼」で、今では観光スポットとしても人気の場所です。
オランダの台湾統治3年目(1626年)、スペインはフィリピンのマニラから台湾北部を占領するために軍隊を派遣しました。オランダ統治と同時に、スペインによる同時統治が開始したのです。
しかし、 1642年にオランダ人はスペイン人を台湾から追い出すことに成功、2番目の都市を占領しました。
こうして約38年間台湾を統治していたオランダですが、台湾支配の目的は主に経済だったようです。1650年頃、台湾のオランダ東インド会社の年間純収入は約40億ドルにも上り、かなり利益の高いものだったことがうかがえます。